くだらないことを楽しくね

大したことは書けないけどゆるく楽しくいきたい

今日も東上線は人身事故です。平和です。

//電車を使う人間がよく目にする人身事故は
一体何割が自殺なのだろうか//

不意にそんなことを思ってしまった。


得意のGoogle先生に頼ってみたが、
公に発表されているものがないみたいであった。


どれくらいの死亡率なのだろう。


父親が以前国鉄に勤めていた時に不慮の事故で同僚が電車に引かれてしまった現場を見たことがあるという話を聞いたことがある。
それはもうトラウマになる程に残酷な現場で、
そこに同僚の姿はなくただ肉の塊があっただけらしい。

そんな悲惨な現場になってしまうなんて、運良く助かる可能性は限りなく低いのでないかと僕は思う。


電光掲示板に人身事故の文字が出た時
癖のある駅員さんの声がアナウンスで流れた時

迷惑そうな女の子、時計を確認するおじさん、
ため息をつくおばさん、取引先に電話するサラリーマン、iPodの中の好きなアーティストの楽曲がイヤホンから流れてくる事以外に無関心な僕。

きっと誰も飛び込んだ人のことなんて考えてないんだろう。

おそらくそんなことを気にしてるほど暇ではないのだ。

大学の講義、パチンコ屋の開店時間、
夕食の準備、取引先との会議、好きなアーティスト。

考えなきゃいけないことなんて腐るほどある。

人身事故=誰がの死
ではないのだ、

人身事故=電車が遅れる
が、この世の中の一般常識なのだ。

誰かがどこかで死ぬことなんて赤の他人からすれば何にも関係のない、いつもと同じ平和なのだ。
それならどうして発展途上国の子供が戦争で死んだことには悲しめるのだろう、彼だって赤の他人だろう。

僕だって、人身事故を起こした人に同情する気はないし、可哀想だとも思わない。


ただ、そこで一つ、死という物があったことは同じだと思った。

忙しいのだ、きっと皆そんなことを考える余裕はないんだ。

だから暇で暇で暇な僕は次から人身事故が起こってしまったのなら、あ、そこで死があったんだなって気づけるようにしよう。そうすれば例え待たされようと少しはイライラしないで生きていけるんじゃないかな。そんな風に思った東武東上線の3両目の中であった。

平和だ。